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唐突ですが、気力が続く限り「諸々と」最期に書き殴ってみたいと思います。
オタなネタ以外は多分「日本」を考察するものとなり、そういうものに興味のない方は邪魔でしょうが、次回以降は隠して書きますので興味のある方だけどうぞ。
但し構成とか綺麗な文章を書こうと考えずに、思いのままを滔々と吐き出すだけの駄文になると思いますのでこの点もご容赦。
さて、これまで何度も書いていますし、以前「クララの明治日記 超訳版」を毎週連載していたことからわかるように、自分が興味のあるのは「外国・外国人の目から見た日本」です。
もっとこの興味でさえ、源流を辿ると「超時空要塞マクロス」で描かれた異文化間の接触だと思われますので、骨の髄までオタク趣味なのだとは思いますが。


さて、今日書くのは「マスゴミによる青い鳥症候群」についてです。
マスゴミによる」と書きましたが、これは現代における代表例なだけであって、根源は遥か昔、二千年前後も遡ります。
昔話、いわゆる「民話」においての典型的構成として「最後は大金持ち・大出世してめでたしめでたし」というものがあります。
後者の「大出世してめでたしめでたし」というのは、異形の力で活躍したが故にというのが一番多いパターン。
一方の前者は「善行を積んだ者がその報いとして富を得る」というパターンが大半です。ですがこれ、時代的には「風土記」あたりまでは明確に残っているのですが、原型は「富は異界よりもたらされる」というだけのパターンだったのです。
何が違うんだ? と思われるでしょうが端的に言うと「善行の報いとして富が与えらることになる」というのは仏教的観念が流入してきたが故に歪められた形なのです。
例を挙げると日本中、それどころか世界中に分布するいわゆる「天女(羽衣)伝説」。
現在残っている形の代表的なものは主人公は「湯あみしていた天女の羽衣を隠して嫁にして幸せになるが、最後は羽衣を天女が見つけて天に帰る」というものだと思いますが「越前国風土記」に残る羽衣伝説の原型と思われる話は悲惨この上ありません。
こちらの天女は、なにしろ捕まって「口噛みの酒」をボロボロになるまで作らされて、男の一族が大金持ちとなり、天女が使い物にならなくなったと思ったら使い捨て。
そして使い潰された天女があてどなく流離った先で流したその血や死体は植物の「素」にされてしまうという、一欠片の救いもないお話。
一見特殊例に見えますが、現在に残る「昔話」も源流に遡ればこれと同様、血腥く、道徳性の欠片もない話だったりします。
これが時代を経るに連れて、仏教的・儒教的要素による「説話的」要素が付け加えられ、表面的にはあまり害のない「昔話」となっていくわけです。


さて、ここまでが長い前説。
以上を一行で説明すると以下のようになります。
「富は異界よりもたらされる」というのが「世界の最果て」である、この日本列島に住む人々の根源的な思想である、と。
もちろんこれは厳密に論理立てた構成ではありません。
ですが自分としてはこの思想こそが日本列島に住む人々の思想原理、ひいては行動原理となってきたと考えています。
富は「異界」からもたらされる。
それは時が経るにつれて、高度の文明を運んできた朝鮮半島、中国、更には仏教の発祥国である印度と具体的な「実体」を持つようになります。
そして「富」をもたらしてくれるそれらの国々は「憧れの国」「素晴らしい国」だという、実態とは隔離した「憧憬」が生まれていきます。
この点、古代から中世、戦国にかけても更に論証を繰り広げることができますが、流石に長くなりすぎますので幕末維新期まで話を飛ばします。
江戸時代日本は鎖国していました。
「鎖国といいつつ実は~」という話は百も承知。江戸期の庶民のかなりの数が、その実相が正しいかどうかはともかく日本国の外に「異国」と「異人」が存在することを知っていました。
それでもなお、幕末日本からヨーロッパやアメリカを直接経することは驚天動地のことでした。
幕臣の一部(主に高級官吏)は「おお、凄い」だけで済んでしまいましたが、実際の通訳・交渉などを担当した実務官吏は、優秀であるが故にヨーロッパやアメリカの表面上の産物だけでなくをそれを形作る「仕組み」まで理解して驚愕します。
これは幕末期の「攘夷思想」に凝り固まっていた維新志士も同様で、結果幕府方・維新方共に実務者たちが「異国」の「実体」を知ることによって、日本の独立を脅かす決定的な内戦が避けられ、明治日本が誕生します。
さて、新たに誕生した明治政府は、ご存じのように大使節団を派遣して欧米視察に出かけます。
この視察こそが直接的に現在の日本を形作ることになるのはご存じのことだと思いますが、同時に現代にも繋がる重大な弊害をもたらしました。
物凄く端的にいうと明治の日本人達は「世界中の良いとこどり」をやろうと試みたのです。
もっとも、ただこれだけなら現在の発展途上国でもよくあることです。
しかし日本の場合、江戸時代に「鎖国」をしていたが故に、日本人はこの時点で思想的にも世界に類を見ない「理想主義者」になっていたのです。
朱子学儒学は中国や朝鮮では学問として、生活習慣として生きていましたが、実際に行われた政治としてはその理想とは大きくかけ離れたものでした。
しかし日本の江戸期の政治家たちは、そんな実体までは知らなかったため「真面目に」「理想主義に基づいた理想の政治」を目指してしまったのです。
現代の我々は時代劇のせいで変なイメージを持ってしまったいますが、少なくとも江戸期の一般庶民の大半は、当時の地球上のどの国の一般庶民よりも平穏に暮らしていたでしょう。
もちろんこれは江戸期の政治体制を手放しで褒めるものではありません(というか現在の我々がタイムスリップして江戸期に迷い込めば、まず間違いなく一週間以内に牢屋行き後、運が悪ければ首が飛びます)。
それはともかくそんな江戸期に培われた「理想主義」と「各国の良い処どり」が入り混じった結果、「世界には素晴らしい国が一杯あり、日本はあらゆる面で劣った国である」という自虐思考が芽生えることになります。
もっともこの自虐思考に関しては日露戦争の勝利で吹き飛びます。
吹き飛んだ結果の反動がロクデモナイことになるわけですが、同時に「理想主義」も変容していきます。初めてアジア以外の「理想主義」――つまり「自由」や「平等」なわけですが――に触れた明治政府上層部は(日本国内はともかく)、世界に向けて訴えかけます。
「どんな人種も平等だ!」
「欧米列強による植民地主義は許せない!」
欧米列強に向かって政治家や外交官たちは馬鹿正直にそう主張しました。
勿論戻ってきたのは、当然のごとき冷笑でした。


前から何度もこのブログで書いてますが、自分は第二次大戦時の軍部、さらには一般日本人は明確に間違っていたと思っています(といっても個々人を責めるつもりは一切ありませんが)。
軍部以上に一般庶民が戦争を煽ったのは間違いないことであり、さらにその庶民を煽った元凶こそが「マスゴミ」なわけですが、今回の本論とは逸れますのでそこは省略。
ただ一番最初にバカ正直に「どんな人種も平等だ!」と「まだ力の十分にない日本」が主張した時欧米列強の態度が変わっていれば、多分第二次大戦も起こらず、全く違った歴史が展開されたであろうという点では戦前の日本の暴走に同情するのですが。
さて、随分と話が逸れてしまったようですが、第二次大戦の敗北によって、またぞろ「理想主義」が鎌首をもたげます。
今度の先導役は政治家たちではなく「マスゴミ」でした。
「アメリカは全てがこんなに素晴らしい」「フランスの政治制度は素晴らしい」「スイスの平和主義は素晴らしい」に始まり、戦前の日本のありとあらゆる面を貶し、貶め「日本以外の国はこんなにも素晴らしい」とこれこそ本当の「一億総懺悔」であろうキャンペーンを繰り広げます。
もっもと皮肉なことにこのアメリカ生活称賛が、日本人の経済発展への意欲をかきたてることになるのですが、それは兎も角。この後も「マスゴミ」は経済成長した「だけ」の日本を貶し続けます。
ここからは皆さんご存知のことでしょうから細々と述べません。今はもっぱら北欧諸国の高福祉政策を誉めそやしていますが、その実体に「光と影」があるのはネット世代の方ならご存知なわけで。


長々と書いてきましたが、結局日本人は昔から「遠い異国に理想の国がある」と信じてきたわけです。
そして同時に「我が国をそれに負けない素晴らしい国にしなければならない」とも思ってきたわけです。
これこそがこの国が長きにわたり、それなりに安定した政体を保ってきたのだと私は考えます。
で、今回の結論なのですが、これが「過去二千年のこと」という話。
我々日本人は、そして世界中の人間さえ知ってしまったわけです、ネットの爆発的な普及によって、世界のどこにも「理想の国」などないことを(マスゴミは未だにネットを使えない世代への「青い鳥症候群」の普及と日本と日本人を貶めることを諦めていないようですが)。
これこそが近年の日本の、そして世界の混迷に繋がっているのではないか、という妄言をエイプリルフールにしてみました、の巻でした。
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